魔王


「あの、ウサギさん。お茶でもどう、かな……」
「……おやあ。珍しい」

 誘いがよほど珍しかったのか、彼はぱちくりと瞬いて、間を空けた。お茶の葉は予想に反してぐんぐん成長し、すべて終わったら飲もうと思っていたお茶も今すぐ試せそうだった。

「いいですねえ、茶葉も無事育って収穫出来ましたし。我輩が淹れましょう」

 どうやって、と聞けば人に近い形に化けられるから問題ないと言う。なるほど、それなら確かに不都合はない。でも、折角だから。

「ボクに淹れさせてはもらえないかな?」

「城主殿からお茶のお誘いとは! いやはや、いつも城主殿が市場で商いをしている間に茶飲み休憩していたのがばれたかとゲフンゲフン」

 全部言っているような気がするがウサギは誤魔化すように咳払いする。ウサギは本当に人の子どものような姿になっていた。角と大きな耳と尻尾は残ったままだ。こうなってしまうと耳くらいしかウサギと呼べそうにない。

「誘ったのはね。自分の城の茶葉、淹れてみたかったっていうのもあったけど……あの、ボク、悩んでいることがあるんだ」
「……と言いますと?」
「もうすぐ、15週目……でしょ」

 ポットを傾けて紅茶を注いだ。ウサギは嗚呼と納得したように頷く。ボクと紅の魔王が一番最初に交わした約束。

「ボクは15週生きて、何者かになってみせろって言われて新しい命を貰った。それは感謝してる」
「しかし満足を得られなければ土塊へ還れ……でしたか。……おや、美味しいですな。流石紅茶の城の茶葉……」

 ウサギは紅茶を運びながら確認した。ボクも一口啜る。確かに、やわらかく温かい香りが広がる紅茶だった。

「まあご主人も突飛なことをして突飛なことを言うお方ですからね、心臓に悪い文句ですよね。憂鬱になるのもわかりますとも!」
「それも、そうなんだけれど。そうじゃなくて……」

 席に座る。カップを握る。じわりと指先から熱が伝わる。逃げちゃ駄目だ。確かめたい真実があるんだ。

「ボクって、なんで紅の魔王に見つけてもらえたのかな?」
「……へ?」

 唾を飲み込む。手が汗ばんでいく。カップは熱かったけれど離せなかった。

「不思議だなって、思うんだ。ここは花の魔王の城だったんでしょ? それが、ボクが紅の魔王に助けて貰ったときに丁度よく空いてて、ボクは此処で魔王になって……」 
「たまたまですよ、たまたま! すべては驚くべき偶然だったのです」

 遮るようにウサギが否定する。だがここで退くべきではないと告げる。凡そ勘と言うべき、予見が訴える。“彼”も、勘のいい少年だったっけ。ボクよりずっと、頭は回ったけれど。

 この城は魔王の城。魔王の城は、その組み方次第で幾重にも補助効果を発揮する。たぶん、大規模な魔術式の類なのだろう。
 そして城はボクを魔王と認め、あらゆるものを見通す力――――“透心眼術”を授けていた。

「そう、まるで、ボクは此処で魔王になるために紅の魔王と出会ったみたいだ……」
「お、お茶が冷めてしまいますよ。折角城主殿が淹れて下さいましたのに。美味しいですよ!」
「紅の魔王は、最初からボクを知っていた。見つけてすぐに“お前は勇者に敗れた者か”って尋ねてきた。ボクが倒された当時の“彼”……ドルチェ=メロディアは伝承に残るほどの偉業なんて持っていなかった筈なのに、魔王は“彼”を勇者と呼んだ」

 話せば話すほど、自然と結ばれていく。
 向かい席のウサギが金色の目を揺らがせて、落ち着きなく手元を騒立たせていた。
 そんな様子を見るのがつらくて、カップに目を落とす。紅茶に映り込んだボクは、情けない顔をしていた。――――勇者と呼ばれた“彼”ならこんな顔はしないだろうな。

「城主殿! それ以上はどうか……」
「思うことが、増えたんだ。ボクは本当は紅の魔王と出会うずっと昔に、消えたくないと願うほどの時間もなく──すぐ消えてしまったんじゃないか、って」

 逸らした視線をちらと戻して目を疑った。

「あ、う、あぐ……げっほ!!」

 ウサギが突然咳き込んでいた。その身体は獣へ戻り、尚も苦しそうに悶絶している。

「ちょっと……!?」

 身体から文字記号のような塵が零れ出ていた。兎にも角にも、容態を見ようと駆け寄る。

「大丈夫……?」
「なぜ、我輩の《嘘》が見抜けた……? 一体、一体どこで……」
「《嘘》?」
「……真実を突かれれば崩れ落ちるのが《嘘》というものです。いやはや、大きな《嘘》はばれた時に伴う痛みも大きい……」

 ウサギは、嘘を吐いていたと言う。ボクに嘘があるとするなら。

「……誤魔化したのは、消えてしまった《ボクの存在》……?」

 信じたくはなかった。でもこの城の魔術──『透心眼術』は訴える。この城にいる限り見通した真相を伝えてくる。
 宿主のドルチェを失って消えていたはずのボクが、ここに立っている矛盾。紅の魔王に与えられた命だと思っていたけれど、すべて最初から、嘘だったこと。
 ウサギは目を細めた。それが肯定だと察する。

「……キミや紅の魔王は、どうしてそんなことしたの?」
「……酷い話です。ご主人は娯楽として貴方様の物語を求めました。ご主人は何度も聞くほどドルチェ=メロディアの物語が好きでしたから、そこで貴方様に目をつけたのでしょう。この者にもし未来を与えたらどうなるのか、と」

 ウサギは弱々しく話を紡ぐ。ボクが、星空の花屋となるまでの経緯を。

「そして、我輩は過去の記録から貴方を再現し、我輩の《嘘》の力を用いて貴方の存在を定義しました。宿主たる勇者を失っても活動できるよう細工し、ご主人が貴方様の窮地に現れたかのように見せかけたのです」

 ウサギから噴き出す文字の塵が増える。《嘘》が痛みを伴うものなら、これは真実が明かされる程に現れる傷と出血のようなものなのかもしれない。

「痛いの、それ」
「まあ、……慣れて、おりますから……」
「……ごめん。もう、話さなくてもいいよ」
「まったく……気づかなければ、そのまま生きられたかもしれないのに。これでは15週も待たず消えてしまいますよ。貴方様は、嘘で塗り固められた存在なのですから……」
「……ちがう」

 きっと15週の制約は本気で、紅の魔王が満足しなければボクは15週目で無かったことにされていたのだと思う。だって、それは紅の魔王に取って、過去の亡霊があるべき姿に戻るだけなのだから。気に入る結果だったならそのまま生かせばいい。
 尤も、その約束は《嘘》を暴くことでボク自身が破綻させてしまったようだ。
 だけど。

「その生まれ方が嘘だったとしても」

 ボクの見通した未来はまだ閉ざされていない。今こそ追い風を従える時だ。

「ボクが嘘なもんか!」

 風が……くる!



「15週の命なんて、初めからなかった。だからなんだ。星空の花屋は確かに此処にあった!」

 ここで起きたことに偽りなんてひとつも無い。本物だ。誰かの借り物でもない。実在したのは事実だ!

「ボクはアスター=クロウエア! 自分を見つけた唯一無二の主人公だ!!」

 身体機能や判断力、精密性、意志の強さを増強する追い風――――市場で逆転のチャンスを得る「商機の風」とでも呼ぶべき現象。それは「勝機の風」となって、今ここに吹き荒れた!

「《嘘》が破られたのに、なぜ消えないのです……?」
「嘘も真実も、与えられるものじゃない。みんなボクが決めることだ。ボクは此処に存在している。紛れもなく真実だ!」
「なっ……」

 言霊には言霊だ。嘘だって? いいや、これはボクが夢見た未来だ。ボクの意志が掴み取った。
 頭の冴え渡った今なら冷静に信じられる。この世界で起きた事実は、ボクの存在をボク自身に証明した。

「嘘だって夢だって本当にしてみせる。ボクは魔王だぞ?」 

 この世界の魔王は物資を販売する者達の総称だけれど。折角だから、勇者と戦った魔王らしく笑ってみようじゃないか。

「あーあー……とんだ破天荒ですなあ」

 ウサギは呆れたように笑って、その身をさらさらと文字の塵に変えていく。

「……キミはどうなるの?」
「お構いなく。貴方が心から御自身を信じたくからでしょうか……あまり、痛まなくなりました。とはいえこの世界に留まるには限界です。……次は、ご主人と共に参りますよ」

 次。15週目、紅の魔王がボクに審判を下す日。

「ごめんね、痛い思いさせて」
「いえいえ、お茶、ご馳走様でした」

 そう一言呟いて、文字の塵は溶けるように消えてしまった。

 あの後、花の魔王の人形を探したけれど見つからなかった。
 きっとウサギに作られた人形だったから、一緒に消えてしまったのだろう。

「花の魔王。茶葉がね、無事育ったんだよ。バラも綺麗に咲いたし、たくさん増えた」

 ローズティーを淹れる。やわらかな香りを嗅ぐと、落ち着いた気がした。バラの香りは心を落ち着かせる効果があるらしい。

「……キミも、こんな風に。大事なことがあるときに、紅茶を飲んでいたのかな」

 もうすぐ、15週目が来る……。