柊鬼商店街の居酒屋「壺中の天」、その奥には一般人避けの結界が張られた大部屋がある。
個室はないので内密にしたい話には向かないが、退魔師や怪異が利用するには具合のいい席だ。
珠緒は、そこに次兄の天樹を呼んでいた。
アルコールはあるものの、飲み会と言えるほど空気は明るくない。
天樹は必要最低限の会話以外、何も言わない。険しい顔つきをしている。今に始まったことではないが、天樹は無愛想で目つきが悪い。
遠目に見るだけなら男前に映ることもあるらしい。昔、長兄の榮花から聞いたことだ。そんな話もあれど、珠緒は目の保養にしたいわけではないので只々怖い。
テーブルを挟んで向かい合ったこの状況は威圧感がとんでもない。顔面の圧力が強いのである。
天樹も昔は、もっとよく笑ってくれたのだが。
霊山天樹という男から愛想や軽口といった親しみやすさのようなものが消えたのは、榮花が居なくなった日からだ。理由は考えるまでもない。
それから彼の過ごす日々は目まぐるしかったのだろう。本家から長男が行方不明になり、三男は家を出た。天樹に掛かる負担は推し測ることさえ難しい。
天樹が明確に変わったと感じたのは、陽桜市で修行を始めた珠緒が最初に帰省した時だった。
「お前はもう関わらなくていい」
前に会った時より、ずっと暗い顔で天樹は言った。その鋭い目が珠緒に合わされることなく告げられたことを覚えている。
天樹の役に立たなくてはならない。その後ろめたさを抱えて家を出た珠緒は、既に自分は期待されていないことを知った。
「家を出たんだからそっちに心血を注げ」
「お前は危ないから怪異を祓おうとするな」
「お前が前線に出ることがあれば、俺は不安になる」
以降も天樹はそうした言葉で、珠緒が退魔に手出しすることについて度々苦言を呈した。
他者が求めても手にできない才を持つ者が、術を狂わせ怖気付いて家を出たのだ。意固地な言動だとは思うが、根に持たれる理由としては不足が無い。天樹の火傷だって、珠緒が作ったものだ。珠緒は見限られたのだと受け取った。
それは、悲しいことだった。自分が奮起したところで、天樹は求めていない。
それでも珠緒は、榮花を諦め切れなかった。
たとえ天樹に嫌われようとも、自分自身も異界に出向いて榮花の手掛かりを探すべきだと再び想いを募らせるようになる。
職人修行をする中で、商店街の人々と日々は、少しずつではあるが珠緒を前を向かせてくれた。
兄に見放されても、制御が失われていても、自分には力がある。これは、珠緒が為すべきことだ。
珠緒は天樹が良い顔をしないことを承知の上で、秘密裏に叔父に頼み込み呪術の稽古もつけてもらうようになった。竦む脚で仕事に着いていくことも増えた。
怪異は怖い。人も怖い。そんな珠緒が前線にも出るようになったから、叔父には迷惑も沢山掛けた。
後衛として叔父の援護に務めていても、自身が怪我をして帰ってくることも少なくはなかった。
「どうして異界なんか行ったんだ!」
天樹は、帰省時に足首の靭帯を傷付けていた珠緒を見てそのような怒声を飛ばした。
叔父により鎮静化されてはいたが、炎症には怪異の呪素が纏わりついていた。
叔父が「僕が無理を言って連れ出したんだ」と庇ってくれたが、天樹には無意味だったらしい。
「おかしいよ、テン兄。叔父さんは良いのに、俺は職人と退魔師の両方をやっちゃ駄目なわけ?」
「危ないつってんだよ。職人だけで十分だろ。もうやめろよ。死ぬ気かよ。なんで聞いてくれないんだよ」
「言うこと聞かないからって俺の人生に口出す権利あんのかよ」
「無理して前に出るなって言ってるだけだ」
天樹と珠緒のやり取りは、こうした平行線の応酬ばかりになった。
珠緒は臆病者で、扱う呪術は嘗ての見る影もない不安定なものだ。退魔師として戦力になれるかは、珠緒自身に自信が無い。反論に足る説得力を持たせることは難しかった。
だからずっと、同じやり取りを繰り返した。
そうしてずっと、まともな会話が出来なくなった。
珠緒が陽桜異界の大作戦に出る許可を得られたのは奇跡に等しい。
情けなく泣き喚いて、醜態を晒して、出鱈目な呪力を解き放ってなんとか攻撃とする。証明すると言って啖呵をきった珠緒ですらこの出来では認められないだろうと思ったものだ。へっぽこでも人数合わせぐらいにはなれると見て貰えたのかもしれない。
しかし天樹も本心では依然として退魔師活動に反対しているのだろう。
もう珠緒が家と連携することは難しい。きっと、目障りなのだから。作戦参加を見逃されただけ、御の字としよう。
そう思っていたある時、ひょんなことから退魔師の友人に自分と天樹の関係をぼやいて思い出した。
珠緒が一度離れた退魔の道に戻ったのは、再び家の役に立つためだ。
久々原 是清は、同じ商店街の仕事仲間であり、珠緒の同い年の友人である。珠緒と近い時期に商店街へ出入りするようになったらしい。その経緯は知らない。
だが、彼の顔に走る大きな傷痕や、彼の家族が一般家庭の人間であるらしい話は、彼の退魔師を目指す姿勢に並々ならぬ背景を感じさせた。
彼の師匠たる掃除屋店主の禰保 介賀だって、一般人をこちら側の世界に巻き込むには否定的な退魔師だ。
何かがあったには違いないだろう。
しかし珠緒自身、身の上を話したくない人間であったから、詳しく聞こうとはしなかった。
聞かずとも、彼が勤勉で真面目で誠実な人間であることくらい付き合っていればわかる。
呪力由来の傷に対して一際自然治癒力が高い彼は、仕事時は身体を張って前に立ってくれる。怪我をすれば血の流れる人間だし、当然痛いだろうに彼は立つ。背中を預けてくれる。
彼の過去を知らなくても、珠緒は是清のそういうところを尊敬しているし、信頼している。
その彼に天樹と上手くいっていないことを話して、「もう一度話してみたらどうか」と背中を押して貰えたから、今日も天樹を呼ぶまで踏み切ることができた。
「じゃあ、ちょっと……話させて貰いたいんだけど」
壺中の天のビールに加え、つまみも揃ったところで珠緒が話を切り出す。天樹は黙って頷いた。
仮にもこうした飲みの席の形を取っているのは、珠緒が酒の勢いを借りるためだ。周囲に聞かれると気まずくはあるが、個室飲み屋で天樹と二人きりになる勇気は無い。
誰かが傍に居てくれる訳ではないが、この店の怪異達なら何かが起きても笑ってくれるだろう。そう思うと少しだけ気が楽になる。
「いま、色々ある……じゃん。うちのことも、だし。陽桜市も」
天樹は口を挟まず、真っ直ぐ珠緒を見ている。続きを待っていた。
「テン兄は嫌かもだけど。俺、ちゃんと手伝いたい……のね。こういう、退魔師の話。その。呪力操作の指導してくれる人も居て。上手く術が使えるように練習もしてて。昔よりは、ええと」
辿々しく話す内に、珠緒は自分が今なにを話しているのか見失っていた。 イメージトレーニングの上では話す順序や予想される反応に対する返しやフォロー、言葉遣いに至るまで想定していたのだが、その段取りは既に崩壊している。
珠緒の頭は真っ白で、膝につけた掌は手汗で湿っていた。
「俺。すぐ泣くし、ビビりだけど、大丈夫だから。退魔師もやれる」
もっと適した言葉があると思う。口から出る発言に、子どもが欲しいものを強請る時のような、説得力の無い幼稚さを覚えた。
天樹はビールのジョッキに口を付け、ゆっくり喉元へ流し込む。ジョッキが置かれるまでがいやに長く感じられた。
「こっちに来てから、この辺りの……商店街の人とも話をした。お前のことも聞いた」
天樹がいよいよ口を開いて、珠緒はどきりとした。自分が知らない内に、自分の話題が上がっている。何が話されたのか気にせずにはいられない。
「やっぱりお前は未熟で。危なっかしいし、退魔師としては度胸も心許ない」
何度も聞いた評価だ。玉砕覚悟ではあったが、珠緒は落胆の心境と共に顔を下げそうになる。
でも、と天樹が続けた。
「お前にも一緒に仕事してくれて、信頼してくれて、感謝してくれる人が居たんだなって。来てから初めて知った。そう思ってもらえるくらい、仕事していることも」
天樹が視線を手元に落とし、再びビールジョッキを傾ける。
言葉から受ける印象に棘が少ない気がした。嫌味だろうかと気構えもする。それもビールを呷る天樹の顔を見ると違和感に変わった。
いつも凛々しく、険しく、直線的に伸びる天樹の眉毛が、僅かに弓なりに開いて見えていた。
「でも俺は、まだ不安だ」
空になったジョッキを置いて天樹の目は伏せられた。
不安。考えられる懸念としては、自分の彩焔が他の人間を巻き込むことについてだろうか。
指導のお陰で呪力の制御が昔より効くようになったことを今一度話そうとして、繋げられた天樹の言葉に珠緒は口を半開きにしたまま固まった。
「タマがこの先、あの時よりも苦しい思いをするなら、俺はすぐにでも辞めさせたいと思う」
意味を理解するのに時間を要した。
言葉通りなら、まるで優しい兄だ。こんなことを天樹が言うだろうか。それか、珠緒が思い至らない裏があるのだろうか。
困惑する中、妹の喜楽里にいつか返された反論が蘇る。
────テン兄、タマ兄のこと好きだよ。
────家を出るくらい退魔をしたがらなかったタマ兄が、また退魔師してるから心配なんだよ。
もしかして、本当なのか。この、にわかに信じ難い話が。
天樹が珠緒を思い遣るような発言に思考を乱しながら、返事を探す。
「大丈夫、だよ。怖くなって家を出た人間がこんなこと言うのも烏滸がましいかもだけど。さっき言ったみたいに、指導受けてから呪力操作も昔より安定するようになってきたんだ」
不思議と、珠緒には話し始めた時より落ち着きが戻ってきていた。幾らか伝えたいことを乗せられる。
「タマが無理に危ない思いしなくても良い。呪具職人だって退魔師に必要な仕事だぞ」
「他に怖い思いしてる人を放っておくのが、嫌だから。両方できるようになりたい」
「怖くて動けなくなったり、怪我したりしてないか」
「時々ある……。でも、昔よりは減った」
「呪術に失敗して他の奴に怒られたり、馬鹿にされたりしてないか」
「時々ある……。でも、嫌になるほどじゃないよ。独りじゃないし」
「そうか」
珠緒の答える全ては完璧ではなかった。
天樹は、受け止めるように目を細めてそれを聞いていた。切れ長だが珠緒よりも大きく、喜楽里にも似たくっきりとした目。それをやんわりと細めて。酔いで瞼が重くなったのかもしれないが。
「お前が独りでなくて、よかった。切磋琢磨し合う友達が居て。慕ってくれる人が居て。狭い田舎だけで生活してるとわからないな」
夢にも思わなかった。天樹の口からそんな言葉が出るなんて有り得ないと思い込んでいた。
珠緒は、受け入れられている。
「退魔師、続けてみると良い。過保護になっていたんだろうな、俺は。お前は強い奴だって聞いた」
「誰に?」
「掃除屋の子」
是清だ。珠緒だって、是清のことはずっと強い人間だと思っている。
「うちのことにお前が関わるのは……未だに気が進まないが。家を出ることになったあの時みたいに、お前が傷付くんじゃないかって考える」
天樹はそこで一旦、つまみのたこわさを咀嚼してビールを追加する。
「テン兄は、俺が手伝うと傷つくと思う?」
「……タマは。上の階の“あれ”、祓うことになっても続けられるか」
要所要所を曖昧にされたが、珠緒には意図が正しく伝わった。CANDLE RYOZENの二階にいる榮花を、珠緒は祓うことができるか。
緩み掛けた気持ちが冷水を浴びたように引き締まる。
「……祓うの?」
「可能性の話だ。俺は、祓ってしまった方が良いと思っている」
「何も、してないのに?」
「何もしてないし、言動も体質も呪術への反応も人間のそれだ。ただ、世界から隔離された人間がなんの意味もなく現れたとは思えない」
だから榮花は怪異と定義された。珠緒にもわかっている。
「呪具とか呪術で、問題無いってわからないかな。俺、商店街の人に正体を見透かす呪具売って貰ってさ。それで見たら……なんかわかるかも」
「“あれ”が通った検査も、その手の判別はしている。読心術や自白剤も通した。限りなく本人に近いものとして見た上で、俺は言っている」
天樹は届いたばかりのビールを一度に半分程まで飲み下した。早々に無くなりそうだ。昔からよく飲み食いする男ではあるが、この勢いは食欲が理由ではないだろう。
「人か怪異か、本物か偽物かの問題なんじゃない。……人間にも訳の分からない連中は居る。変質した怪異だって居る。そんな事態に、親しい人間の姿というだけで放置するのは望ましくないと俺は思う」
陽桜異界は調査が進み、イレギュラーも次々発覚していた。
本来の在り方から性質の変化した怪異、造られた人工怪異、それを作り出した悪意ある人間、その人間を掌で転がす強大な怪異。
真実が解明されるほどに、榮花という異常への猜疑心は深まった。見過ごすには危険が過ぎる。
「極端な話、“あれ”が自覚無くスパイや爆弾にされている可能性もある。結界で外と切り離しても特に変化は無かったが。世界に居ないことになっている以上、どう処理されてもおかしくはない」
天樹の言うことは正しく思えた。
返す言葉は生まれなかった。
「もしも、“あれ”が紛い物で、本当の榮花が別に居るとしたら。“あれ”に情けを掛けることこそ残酷な話になる」
もしも、どこかの異界に誰にも気づかれず、榮花がまだ囚われているとしたら。
考えれば胸が痛む。
────皆から忘れられて、助けてほしいのに誰にも気づかれなかったら悲しいだろ?
自分は、気づくことができる人間だ。全部の手を取れないとしても、手を伸ばせば届くことはある。
珠緒はそれを導として、礎として進んできた。
「関わらなくても、大丈夫だ。どう選んでも、俺はお前を責めない」
天樹は念を押す。
その後はしめやかに時間が過ぎる。珠緒と天樹の飲み交わす酒の席は、静かなものだった。
※家紋アイコン:君様
個室はないので内密にしたい話には向かないが、退魔師や怪異が利用するには具合のいい席だ。
珠緒は、そこに次兄の天樹を呼んでいた。
アルコールはあるものの、飲み会と言えるほど空気は明るくない。
天樹は必要最低限の会話以外、何も言わない。険しい顔つきをしている。今に始まったことではないが、天樹は無愛想で目つきが悪い。
遠目に見るだけなら男前に映ることもあるらしい。昔、長兄の榮花から聞いたことだ。そんな話もあれど、珠緒は目の保養にしたいわけではないので只々怖い。
テーブルを挟んで向かい合ったこの状況は威圧感がとんでもない。顔面の圧力が強いのである。
天樹も昔は、もっとよく笑ってくれたのだが。
霊山天樹という男から愛想や軽口といった親しみやすさのようなものが消えたのは、榮花が居なくなった日からだ。理由は考えるまでもない。
それから彼の過ごす日々は目まぐるしかったのだろう。本家から長男が行方不明になり、三男は家を出た。天樹に掛かる負担は推し測ることさえ難しい。
天樹が明確に変わったと感じたのは、陽桜市で修行を始めた珠緒が最初に帰省した時だった。
「お前はもう関わらなくていい」
前に会った時より、ずっと暗い顔で天樹は言った。その鋭い目が珠緒に合わされることなく告げられたことを覚えている。
天樹の役に立たなくてはならない。その後ろめたさを抱えて家を出た珠緒は、既に自分は期待されていないことを知った。
「家を出たんだからそっちに心血を注げ」
「お前は危ないから怪異を祓おうとするな」
「お前が前線に出ることがあれば、俺は不安になる」
以降も天樹はそうした言葉で、珠緒が退魔に手出しすることについて度々苦言を呈した。
他者が求めても手にできない才を持つ者が、術を狂わせ怖気付いて家を出たのだ。意固地な言動だとは思うが、根に持たれる理由としては不足が無い。天樹の火傷だって、珠緒が作ったものだ。珠緒は見限られたのだと受け取った。
それは、悲しいことだった。自分が奮起したところで、天樹は求めていない。
それでも珠緒は、榮花を諦め切れなかった。
たとえ天樹に嫌われようとも、自分自身も異界に出向いて榮花の手掛かりを探すべきだと再び想いを募らせるようになる。
職人修行をする中で、商店街の人々と日々は、少しずつではあるが珠緒を前を向かせてくれた。
兄に見放されても、制御が失われていても、自分には力がある。これは、珠緒が為すべきことだ。
珠緒は天樹が良い顔をしないことを承知の上で、秘密裏に叔父に頼み込み呪術の稽古もつけてもらうようになった。竦む脚で仕事に着いていくことも増えた。
怪異は怖い。人も怖い。そんな珠緒が前線にも出るようになったから、叔父には迷惑も沢山掛けた。
後衛として叔父の援護に務めていても、自身が怪我をして帰ってくることも少なくはなかった。
「どうして異界なんか行ったんだ!」
天樹は、帰省時に足首の靭帯を傷付けていた珠緒を見てそのような怒声を飛ばした。
叔父により鎮静化されてはいたが、炎症には怪異の呪素が纏わりついていた。
叔父が「僕が無理を言って連れ出したんだ」と庇ってくれたが、天樹には無意味だったらしい。
「おかしいよ、テン兄。叔父さんは良いのに、俺は職人と退魔師の両方をやっちゃ駄目なわけ?」
「危ないつってんだよ。職人だけで十分だろ。もうやめろよ。死ぬ気かよ。なんで聞いてくれないんだよ」
「言うこと聞かないからって俺の人生に口出す権利あんのかよ」
「無理して前に出るなって言ってるだけだ」
天樹と珠緒のやり取りは、こうした平行線の応酬ばかりになった。
珠緒は臆病者で、扱う呪術は嘗ての見る影もない不安定なものだ。退魔師として戦力になれるかは、珠緒自身に自信が無い。反論に足る説得力を持たせることは難しかった。
だからずっと、同じやり取りを繰り返した。
そうしてずっと、まともな会話が出来なくなった。
珠緒が陽桜異界の大作戦に出る許可を得られたのは奇跡に等しい。
情けなく泣き喚いて、醜態を晒して、出鱈目な呪力を解き放ってなんとか攻撃とする。証明すると言って啖呵をきった珠緒ですらこの出来では認められないだろうと思ったものだ。へっぽこでも人数合わせぐらいにはなれると見て貰えたのかもしれない。
しかし天樹も本心では依然として退魔師活動に反対しているのだろう。
もう珠緒が家と連携することは難しい。きっと、目障りなのだから。作戦参加を見逃されただけ、御の字としよう。
そう思っていたある時、ひょんなことから退魔師の友人に自分と天樹の関係をぼやいて思い出した。
珠緒が一度離れた退魔の道に戻ったのは、再び家の役に立つためだ。
久々原 是清は、同じ商店街の仕事仲間であり、珠緒の同い年の友人である。珠緒と近い時期に商店街へ出入りするようになったらしい。その経緯は知らない。
だが、彼の顔に走る大きな傷痕や、彼の家族が一般家庭の人間であるらしい話は、彼の退魔師を目指す姿勢に並々ならぬ背景を感じさせた。
彼の師匠たる掃除屋店主の禰保 介賀だって、一般人をこちら側の世界に巻き込むには否定的な退魔師だ。
何かがあったには違いないだろう。
しかし珠緒自身、身の上を話したくない人間であったから、詳しく聞こうとはしなかった。
聞かずとも、彼が勤勉で真面目で誠実な人間であることくらい付き合っていればわかる。
呪力由来の傷に対して一際自然治癒力が高い彼は、仕事時は身体を張って前に立ってくれる。怪我をすれば血の流れる人間だし、当然痛いだろうに彼は立つ。背中を預けてくれる。
彼の過去を知らなくても、珠緒は是清のそういうところを尊敬しているし、信頼している。
その彼に天樹と上手くいっていないことを話して、「もう一度話してみたらどうか」と背中を押して貰えたから、今日も天樹を呼ぶまで踏み切ることができた。
「じゃあ、ちょっと……話させて貰いたいんだけど」
壺中の天のビールに加え、つまみも揃ったところで珠緒が話を切り出す。天樹は黙って頷いた。
仮にもこうした飲みの席の形を取っているのは、珠緒が酒の勢いを借りるためだ。周囲に聞かれると気まずくはあるが、個室飲み屋で天樹と二人きりになる勇気は無い。
誰かが傍に居てくれる訳ではないが、この店の怪異達なら何かが起きても笑ってくれるだろう。そう思うと少しだけ気が楽になる。
「いま、色々ある……じゃん。うちのことも、だし。陽桜市も」
天樹は口を挟まず、真っ直ぐ珠緒を見ている。続きを待っていた。
「テン兄は嫌かもだけど。俺、ちゃんと手伝いたい……のね。こういう、退魔師の話。その。呪力操作の指導してくれる人も居て。上手く術が使えるように練習もしてて。昔よりは、ええと」
辿々しく話す内に、珠緒は自分が今なにを話しているのか見失っていた。 イメージトレーニングの上では話す順序や予想される反応に対する返しやフォロー、言葉遣いに至るまで想定していたのだが、その段取りは既に崩壊している。
珠緒の頭は真っ白で、膝につけた掌は手汗で湿っていた。
「俺。すぐ泣くし、ビビりだけど、大丈夫だから。退魔師もやれる」
もっと適した言葉があると思う。口から出る発言に、子どもが欲しいものを強請る時のような、説得力の無い幼稚さを覚えた。
天樹はビールのジョッキに口を付け、ゆっくり喉元へ流し込む。ジョッキが置かれるまでがいやに長く感じられた。
「こっちに来てから、この辺りの……商店街の人とも話をした。お前のことも聞いた」
天樹がいよいよ口を開いて、珠緒はどきりとした。自分が知らない内に、自分の話題が上がっている。何が話されたのか気にせずにはいられない。
「やっぱりお前は未熟で。危なっかしいし、退魔師としては度胸も心許ない」
何度も聞いた評価だ。玉砕覚悟ではあったが、珠緒は落胆の心境と共に顔を下げそうになる。
でも、と天樹が続けた。
「お前にも一緒に仕事してくれて、信頼してくれて、感謝してくれる人が居たんだなって。来てから初めて知った。そう思ってもらえるくらい、仕事していることも」
天樹が視線を手元に落とし、再びビールジョッキを傾ける。
言葉から受ける印象に棘が少ない気がした。嫌味だろうかと気構えもする。それもビールを呷る天樹の顔を見ると違和感に変わった。
いつも凛々しく、険しく、直線的に伸びる天樹の眉毛が、僅かに弓なりに開いて見えていた。
「でも俺は、まだ不安だ」
空になったジョッキを置いて天樹の目は伏せられた。
不安。考えられる懸念としては、自分の彩焔が他の人間を巻き込むことについてだろうか。
指導のお陰で呪力の制御が昔より効くようになったことを今一度話そうとして、繋げられた天樹の言葉に珠緒は口を半開きにしたまま固まった。
「タマがこの先、あの時よりも苦しい思いをするなら、俺はすぐにでも辞めさせたいと思う」
意味を理解するのに時間を要した。
言葉通りなら、まるで優しい兄だ。こんなことを天樹が言うだろうか。それか、珠緒が思い至らない裏があるのだろうか。
困惑する中、妹の喜楽里にいつか返された反論が蘇る。
────テン兄、タマ兄のこと好きだよ。
────家を出るくらい退魔をしたがらなかったタマ兄が、また退魔師してるから心配なんだよ。
もしかして、本当なのか。この、にわかに信じ難い話が。
天樹が珠緒を思い遣るような発言に思考を乱しながら、返事を探す。
「大丈夫、だよ。怖くなって家を出た人間がこんなこと言うのも烏滸がましいかもだけど。さっき言ったみたいに、指導受けてから呪力操作も昔より安定するようになってきたんだ」
不思議と、珠緒には話し始めた時より落ち着きが戻ってきていた。幾らか伝えたいことを乗せられる。
「タマが無理に危ない思いしなくても良い。呪具職人だって退魔師に必要な仕事だぞ」
「他に怖い思いしてる人を放っておくのが、嫌だから。両方できるようになりたい」
「怖くて動けなくなったり、怪我したりしてないか」
「時々ある……。でも、昔よりは減った」
「呪術に失敗して他の奴に怒られたり、馬鹿にされたりしてないか」
「時々ある……。でも、嫌になるほどじゃないよ。独りじゃないし」
「そうか」
珠緒の答える全ては完璧ではなかった。
天樹は、受け止めるように目を細めてそれを聞いていた。切れ長だが珠緒よりも大きく、喜楽里にも似たくっきりとした目。それをやんわりと細めて。酔いで瞼が重くなったのかもしれないが。
「お前が独りでなくて、よかった。切磋琢磨し合う友達が居て。慕ってくれる人が居て。狭い田舎だけで生活してるとわからないな」
夢にも思わなかった。天樹の口からそんな言葉が出るなんて有り得ないと思い込んでいた。
珠緒は、受け入れられている。
「退魔師、続けてみると良い。過保護になっていたんだろうな、俺は。お前は強い奴だって聞いた」
「誰に?」
「掃除屋の子」
是清だ。珠緒だって、是清のことはずっと強い人間だと思っている。
「うちのことにお前が関わるのは……未だに気が進まないが。家を出ることになったあの時みたいに、お前が傷付くんじゃないかって考える」
天樹はそこで一旦、つまみのたこわさを咀嚼してビールを追加する。
「テン兄は、俺が手伝うと傷つくと思う?」
「……タマは。上の階の“あれ”、祓うことになっても続けられるか」
要所要所を曖昧にされたが、珠緒には意図が正しく伝わった。CANDLE RYOZENの二階にいる榮花を、珠緒は祓うことができるか。
緩み掛けた気持ちが冷水を浴びたように引き締まる。
「……祓うの?」
「可能性の話だ。俺は、祓ってしまった方が良いと思っている」
「何も、してないのに?」
「何もしてないし、言動も体質も呪術への反応も人間のそれだ。ただ、世界から隔離された人間がなんの意味もなく現れたとは思えない」
だから榮花は怪異と定義された。珠緒にもわかっている。
「呪具とか呪術で、問題無いってわからないかな。俺、商店街の人に正体を見透かす呪具売って貰ってさ。それで見たら……なんかわかるかも」
「“あれ”が通った検査も、その手の判別はしている。読心術や自白剤も通した。限りなく本人に近いものとして見た上で、俺は言っている」
天樹は届いたばかりのビールを一度に半分程まで飲み下した。早々に無くなりそうだ。昔からよく飲み食いする男ではあるが、この勢いは食欲が理由ではないだろう。
「人か怪異か、本物か偽物かの問題なんじゃない。……人間にも訳の分からない連中は居る。変質した怪異だって居る。そんな事態に、親しい人間の姿というだけで放置するのは望ましくないと俺は思う」
陽桜異界は調査が進み、イレギュラーも次々発覚していた。
本来の在り方から性質の変化した怪異、造られた人工怪異、それを作り出した悪意ある人間、その人間を掌で転がす強大な怪異。
真実が解明されるほどに、榮花という異常への猜疑心は深まった。見過ごすには危険が過ぎる。
「極端な話、“あれ”が自覚無くスパイや爆弾にされている可能性もある。結界で外と切り離しても特に変化は無かったが。世界に居ないことになっている以上、どう処理されてもおかしくはない」
天樹の言うことは正しく思えた。
返す言葉は生まれなかった。
「もしも、“あれ”が紛い物で、本当の榮花が別に居るとしたら。“あれ”に情けを掛けることこそ残酷な話になる」
もしも、どこかの異界に誰にも気づかれず、榮花がまだ囚われているとしたら。
考えれば胸が痛む。
────皆から忘れられて、助けてほしいのに誰にも気づかれなかったら悲しいだろ?
自分は、気づくことができる人間だ。全部の手を取れないとしても、手を伸ばせば届くことはある。
珠緒はそれを導として、礎として進んできた。
「関わらなくても、大丈夫だ。どう選んでも、俺はお前を責めない」
天樹は念を押す。
その後はしめやかに時間が過ぎる。珠緒と天樹の飲み交わす酒の席は、静かなものだった。
※家紋アイコン:君様
