珠緒はレンタルショップのバッグを提げ、CANDLE RYOZENのバックヤードから階段を上がる。
榮花の居場所が、CANDLE RYOZENの二階に越してきた。様々な協議の末である。
呪具や付近に住まう退魔師が多いことも一因だ。
幸い、二階は住居空間となっており住むには不便しない。元が分家の店であり、先代の店主はここで生活していた時期があったと珠緒は叔父から聞いている。
榮花は、人間に限りなく近い怪異に相当するらしい。
似た扱いをされるものの一つに、『異世界人』という分類がある。自分達とは異なる領域から来た存在であるが、異界を作り出してそこに棲まう怪異のことではないとされている。
それは時に、なんの力も持たぬ一般人同等の手合いも指す。人となんら変わらないとしても、分類の上では区別される。
榮花は桔梗院や天樹の指示に素直に従い、検査や制御用の呪術を全て受け入れ、外界と一定期間の隔離を経ても特別注視すべき変化は起きなかった。
結果、現在は緊急性の無い怪異として担当は霊山雨水、霊山天樹の預かりとなっている。
陽桜異界で混乱している今、本部から手を回す余裕もそこまで無いのだろう。
桔梗院所属の支配下に置かれ、榮花の行動の制限は大幅に緩和された。榮花本人からすれば監禁から軟禁に変化した程度のものだろうが、鈍足や行動範囲の規制は大分緩まり、二階の範囲なら好きに移動して良いことになった。
呪詛返しや発言履歴の記録処理が施されたことで、対話の許可も下りている。
天樹の判断で、外出させたり存在を表沙汰にするのはまだ避けている。
しかし当然生活に困るので、榮花のもとに飲食物や書籍などの娯楽が持って行かれるようになった。
珠緒はよく、榮花に持って行くための娯楽作品を選んでレンタルショップで借りていた。
「エーカ兄。今日の分、持ってきた」
「サンキュ。今日のやつ何?」
「『ニタリ鮫Loveクライシス』。少女漫画」
「鮫? 少女漫画?」
「最近人気の、喜楽里ちゃんの好きなやつ」
「へえ」
榮花は表紙をしげしげと眺めている。繊細な淡いタッチで鮫だらけの混沌の様相が描かれた表紙は波乱の展開を予感させた。
珠緒は、こうして目の前に現れた榮花との距離感が未だに掴めない。捜し求めて追い続けてきた兄が、突然歳下になって怪異として出てくれば無理もない話だが。
天樹からは、あまり兄本人として扱わないよう言われている。
いつ牙を剥くかもわからないという疑いは、珠緒も持ち合わせてはいた。狐に化けられた覚えがあるから、恐れてもいた。
ただ、榮花の形をしたものが無遠慮に呪符を貼られたり時に縄を打たれたり傷付けられる様子は、決して気分のいいものではない。
それで放置されることを気の毒に思ってしまって、榮花と会話しようとしてしまう。
退魔師としては、避けるべき情の移り方だろうけれど。
「しかし、お前見た目派手になったよなあ」
唐突に珠緒についての言及がされる。
榮花は、珠緒を見ていた。
「え、ああ。うん」
珠緒は染められた金髪を指先で触りながら曖昧に頷く。
榮花の時間は、8年前で停まっている。珠緒が洒落っ気を出す前の、高校生ですらない中学生の時分。それは様変わりしているだろう。
「なんでそうなったの?」
その疑問も当然と言えた。
当時の自分だってこうなるとは思っていなかっただろう。
「気分転換とか、イメチェンとかしてたら……こうなった」
自分の所為で怪異と呪力暴走の犠牲になった榮花。
自分の所為で火傷痕が残り、当主の責任を引き受けることになった天樹。
自分の所為で家族を失うことになった喜楽里。
みんな自分が引っ掻き回した。
高校生になって、呪具職人の勉強に打ち込んでもその意識はずっと頭にこびりつく。
自分という形を変えてしまえば、何か変わって前へ進めるのではないかと思ったのだ。せめて、気分だけでも。
そう正直に話すには勇気が足りない。
仮に榮花の紛い物であったとしても、それを言うことはなんとなく、珠緒の責任を榮花に気負わせてしまう気がしたのだ。
「ふうん。しかし見た目は派手になったけど昔より大人しくなったよなあ。成長したもんだ」
この状況でテンション高かったら逆におかしいだろ。
珠緒は返答に詰まった。
能天気に生きてた少年時代からすれば想像もつかない姿なのかもしれないが。
珠緒は榮花を自分自身の足でも探したくて、両親や天樹の力になりたくて、叔父のようになるために研鑽を重ねてきた。
榮花は、そうした経緯も知らない。
「彼女できた?」
ちょっと煩くなってきた。
「ね、珠緒。喜楽里って今どんな感じなの? ……写真とか見るのも駄目かな」
「テン兄に聞いてみないとわかんない。じゃあ、また来るから」
見せてあげたい気もする。けれどリスクあるものを見せたくない。
天樹という逃げ道を使って、珠緒は逃げるように二階から降りる。
話す時間を作ってあげたいと思ったのは自分なのに、責任を持てなかった。
どうして榮花には問題が無いと証明するものが無いのだろう。
疑いは、続ければ底が見えない。
榮花と話すようになってから、珠緒は時々特定の夢を見るようになった。
麗らかな木漏れ日の注ぐ大樹の下、雨が降り、七色の火が燃え広がって、その地獄のような炎の向こうから恐ろしい声が囁くのだ。
「そう硬くなるでない。ほら、楽に」
ぬっと獣のような手が伸びてきたところで、珠緒はいつも目が覚める。
榮花の居場所が、CANDLE RYOZENの二階に越してきた。様々な協議の末である。
呪具や付近に住まう退魔師が多いことも一因だ。
幸い、二階は住居空間となっており住むには不便しない。元が分家の店であり、先代の店主はここで生活していた時期があったと珠緒は叔父から聞いている。
榮花は、人間に限りなく近い怪異に相当するらしい。
似た扱いをされるものの一つに、『異世界人』という分類がある。自分達とは異なる領域から来た存在であるが、異界を作り出してそこに棲まう怪異のことではないとされている。
それは時に、なんの力も持たぬ一般人同等の手合いも指す。人となんら変わらないとしても、分類の上では区別される。
榮花は桔梗院や天樹の指示に素直に従い、検査や制御用の呪術を全て受け入れ、外界と一定期間の隔離を経ても特別注視すべき変化は起きなかった。
結果、現在は緊急性の無い怪異として担当は霊山雨水、霊山天樹の預かりとなっている。
陽桜異界で混乱している今、本部から手を回す余裕もそこまで無いのだろう。
桔梗院所属の支配下に置かれ、榮花の行動の制限は大幅に緩和された。榮花本人からすれば監禁から軟禁に変化した程度のものだろうが、鈍足や行動範囲の規制は大分緩まり、二階の範囲なら好きに移動して良いことになった。
呪詛返しや発言履歴の記録処理が施されたことで、対話の許可も下りている。
天樹の判断で、外出させたり存在を表沙汰にするのはまだ避けている。
しかし当然生活に困るので、榮花のもとに飲食物や書籍などの娯楽が持って行かれるようになった。
珠緒はよく、榮花に持って行くための娯楽作品を選んでレンタルショップで借りていた。
「エーカ兄。今日の分、持ってきた」
「サンキュ。今日のやつ何?」
「『ニタリ鮫Loveクライシス』。少女漫画」
「鮫? 少女漫画?」
「最近人気の、喜楽里ちゃんの好きなやつ」
「へえ」
榮花は表紙をしげしげと眺めている。繊細な淡いタッチで鮫だらけの混沌の様相が描かれた表紙は波乱の展開を予感させた。
珠緒は、こうして目の前に現れた榮花との距離感が未だに掴めない。捜し求めて追い続けてきた兄が、突然歳下になって怪異として出てくれば無理もない話だが。
天樹からは、あまり兄本人として扱わないよう言われている。
いつ牙を剥くかもわからないという疑いは、珠緒も持ち合わせてはいた。狐に化けられた覚えがあるから、恐れてもいた。
ただ、榮花の形をしたものが無遠慮に呪符を貼られたり時に縄を打たれたり傷付けられる様子は、決して気分のいいものではない。
それで放置されることを気の毒に思ってしまって、榮花と会話しようとしてしまう。
退魔師としては、避けるべき情の移り方だろうけれど。
「しかし、お前見た目派手になったよなあ」
唐突に珠緒についての言及がされる。
榮花は、珠緒を見ていた。
「え、ああ。うん」
珠緒は染められた金髪を指先で触りながら曖昧に頷く。
榮花の時間は、8年前で停まっている。珠緒が洒落っ気を出す前の、高校生ですらない中学生の時分。それは様変わりしているだろう。
「なんでそうなったの?」
その疑問も当然と言えた。
当時の自分だってこうなるとは思っていなかっただろう。
「気分転換とか、イメチェンとかしてたら……こうなった」
自分の所為で怪異と呪力暴走の犠牲になった榮花。
自分の所為で火傷痕が残り、当主の責任を引き受けることになった天樹。
自分の所為で家族を失うことになった喜楽里。
みんな自分が引っ掻き回した。
高校生になって、呪具職人の勉強に打ち込んでもその意識はずっと頭にこびりつく。
自分という形を変えてしまえば、何か変わって前へ進めるのではないかと思ったのだ。せめて、気分だけでも。
そう正直に話すには勇気が足りない。
仮に榮花の紛い物であったとしても、それを言うことはなんとなく、珠緒の責任を榮花に気負わせてしまう気がしたのだ。
「ふうん。しかし見た目は派手になったけど昔より大人しくなったよなあ。成長したもんだ」
この状況でテンション高かったら逆におかしいだろ。
珠緒は返答に詰まった。
能天気に生きてた少年時代からすれば想像もつかない姿なのかもしれないが。
珠緒は榮花を自分自身の足でも探したくて、両親や天樹の力になりたくて、叔父のようになるために研鑽を重ねてきた。
榮花は、そうした経緯も知らない。
「彼女できた?」
ちょっと煩くなってきた。
「ね、珠緒。喜楽里って今どんな感じなの? ……写真とか見るのも駄目かな」
「テン兄に聞いてみないとわかんない。じゃあ、また来るから」
見せてあげたい気もする。けれどリスクあるものを見せたくない。
天樹という逃げ道を使って、珠緒は逃げるように二階から降りる。
話す時間を作ってあげたいと思ったのは自分なのに、責任を持てなかった。
どうして榮花には問題が無いと証明するものが無いのだろう。
疑いは、続ければ底が見えない。
榮花と話すようになってから、珠緒は時々特定の夢を見るようになった。
麗らかな木漏れ日の注ぐ大樹の下、雨が降り、七色の火が燃え広がって、その地獄のような炎の向こうから恐ろしい声が囁くのだ。
「そう硬くなるでない。ほら、楽に」
ぬっと獣のような手が伸びてきたところで、珠緒はいつも目が覚める。