ドラゴンと夏の思い出
俺はVR《ヴァーチャル・リアリティ》のことは結構好きだ。
厳密には、自分ではない自分が仮想の世界で動く体験が好きだ。
歩く、走る、跳ねる、戦う、世界を巡る。その場から動かずしてこれが叶う体験のことを、俺はずっと愛している。
38年生きてきて、子供の頃から変わらないなと思う。
2Dスクロールのゲームから、マップ移動が可能なMMO、視覚や聴覚の情報まで没入できるVRコンテンツなど仮想世界の幅はとても広くなった。いい時代だ。
話は変わるが、自分は楽天家の部類だと思う。
違う仕事をしてみたくなって思いつきのような転職をしたこともあるし、一度はやってみたいという理由で海外旅行をしたこともある。
当然、人生でネガティブな出来事が無いわけではないし、失敗や損も沢山した。
不快なことや不満だって無いわけじゃない。
それだって、新しい体験を経たと思えば自身の可能性が広がった気がして少しは宥められた。
そこに障害があったって、なんだかんだ自分は出来る範囲で何とかしようとするだろう。未来の自分へそんな無責任な信頼を何度も預けた。
毎度上手くはいかないが、そうして新しきを知る自分は素晴らしいことのように思えて、今生きていることに感謝もしている。
だから、このゲーム──「ステラボード」で遊び始めてから、「ゲームのシナリオ」として済ませるには度し難い超常現象も体験してきた訳だけれど、それらも新鮮で楽しいゲームライフの延長線上にあった。
それでも、だ。
“ゲーム体験を現実にフィードバックする”機能──簡潔に言えば、ゲーム内で手に入れたあらゆる物体、人、能力などを現実世界に持ち帰る機能。
話半分に聞いていたそれは、この俺でも流石に不安を覚えた。
フィクションなんかじゃなくて、このゲームはもしかしたら本当に、なんだかとてつもない望みまで叶えることが出来てしまうのではないか。
このゲームの突飛な出来事の数々は、そう思わせる真実味があった。
例えば、もしもこの能力を持ち帰れるのだとしたら、これまでの俺の人生が丸ごと変わる。
俺が積み上げて来たものの意味合いが、変わるとも知れない。
それほど大きな願いを得る必要はなかった。
出会った友達と一緒にゲームを遊んだだけでも、俺がこのゲームに抱いた期待や望みは叶っている。
このゲームを遊んだ記憶が残っていれば俺にとってはグッドエンドだ。
そこに、それ以上を望むことはあるだろうか?
一枚のカードを手に取り眺める。花丸が書かれたラジオ体操のスタンプカードだ。
このゲームで習慣的に続けていたラジオ体操の証。
ゲーム内で出会った友人から贈り物として貰ったものだった。
これ一枚のみを思い出として持ち帰れば、綺麗な話で締まりがいいなと思案する。
美しい心を体現したような宝物になるのではないか。
けれど、それは柄じゃないな。
そう結論づけるのは早かった。
本当に謙虚で無欲で満ち足りる人間ならそれでよかった。
これ以上が無くたって、変わらず暮らしていけるのだ。
だからこれは、きっと欲深い話なのだろうけども。
俺は、現在以上の能力を求めていた。
俺は、欲深い自分が恐ろしいんじゃない。
力を得た後の変化した未来を恐れている。
丸ごと変わった世界で訪れる面倒や不幸を恐れている。
本当の本当に、躊躇していた。臆して、迷って、立ち止まっている。
それでも、やっぱり俺は楽天家なのだと思う。
取り返しのつかないことになる恐れよりも、興味の方が強かった。
童話ならこらしめられる欲張りじいさんの役がぴったりかもしれない。
しかし、より良い明日を求める願いそのものは誰にも笑うことはできないのではないか。
俺は、欲求に正直だった。
もしもこの選択が失敗で、面倒や不幸が降り掛かったとして、俺は苦しみながらも失敗なりに生きていこうとするだろう。
未来の俺は何とかやっていくだろうと、いつものように無責任な信頼を預けて後で考えることにした。
今までの俺が無になるわけじゃないのだ。
今までを知る俺に加えて、できることが増えるなら──。
そういう期待を抱いて現状の満足よりも、革新を求めてしまう。
グッドエンドを超グッドエンドにしようなんて、欲をかいてしまう。
思い出のスタンプカードは持ち帰る。
加えて、“俺の欲しい能力”も持ち帰る。
わがままだとしても、得られるなら得ておきたいから。
ゲームのシステムを操作して、持ち帰るものを選択する。
ここまで胸を高鳴らせておいて、「本当は無理でした」なんてのは無しにしてほしい。
これが持ち帰れたら、何をしてみようか。
ひとつ思いついて、それが確かなものとなるよう口に出してみた。
「ラジオ体操、してみたいな」
* アイテムを表示しました。
“ラジオ体操スタンプカード(花丸印)”
“通常ノーツ「奔走の」”
“ネームノーツ「自由」”
“現実世界でも動く足”